食育基本法って知ってましたか?
朝食を食べない子どもたち
朝食を食べないこどもたちの問題が言われ初めて久しいです。
今やそのこどもたちが大人になり家族を作り、新たな朝食を食べないこどもたちを作り出しているかも知れません。
家庭環境はどうしても、連鎖しやすいと思います。
食育とは親の再教育の場でもあるべきです。
加工食品に隔たりがちな食事、バランスを崩した食生活に起因する病気、肥満、不健康等に加えて、食卓を囲んだ家族団欒(スキンシップ)の喪失は、様々な社会生活に悪影響を及ぼし、キレる青少年や中高年を生み出し、増加させています。
政府による食育
そこで政府は食育を、生きる上での基本で有り、知育・徳育・体育の基礎となるべきものと位置づけ、「食」に関する正しい知識と「食」を正しい選択する力を習得し、健全な食生活ができる人間を育てるために2005年6月に「食育基本法」を定めました。
このことは、非常に意義の有ることと思います。
こういった正しい取り組みは私たち国民が積極的に関与すべき日本の未来を守るための重要事項だとも思います。
また欧米に比べて、学校給食の充実・自分たちで配膳片付けなどを行うしつけ等、良き伝統・日本人としてのアイデンティティの形成にプラスに働くはずです。
食育資格に思う
食育に関係する一般財団法人などが認定する民間の資格が多数あるようです。
きちんと学んだ証として、認定される資格が存在するのは決して悪いことではありませんが、そこに排他的な利権が発生するのを監視する必要があると考えます。
教育の基本である以上、教師の先生方の必須単位として扱うことの方が、より一層建設的な気がします。
しかもかなりの類似資格が乱立しています。教育内容のレベル、資格の有意性の確認などを出来なければ、かえって混乱するのではないでしょうか?
食育は国家の礎となるべき施策です。
考えるだけで動き出さないのも問題ですが、だからこそ、早々に教える側のレベルを高水準に維持する必要があります。
漠然とした方向性ではなく、ステップを踏んだ数値目標のあるガイドライン・運用目標設定がなされるべきです。
また、国家資格の導入も視野に入れるべきです。
この、資格乱立状態が現場に混乱をもたらさないことを願っています。
食育基本法前文
概念なので知っておく必要があると思い前文を載せました。
二十一世紀における我が国の発展のためには、子どもたちが健全な心と身体を培い、 未来や国際社会に向かって羽ばたくことができるようにするとともに、すべての国民が心身の健康を確保し、生涯にわたって生き生きと暮らすことができるようにすることが大切である。
子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ、生きる力を身に付けていくためには、何よりも「食」が重要である。
今、改めて、食育を、生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきものと位置付けるとともに、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てる食育を推進することが求められている。
もとより、食育はあらゆる世代の国民に必要なものであるが、子どもたちに対する食育は、心身の成長及び人格の形成に大きな影響を及ぼし、生涯にわたって健全な心と身体を培い豊かな人間性をはぐくんでいく基礎となるものである。
一方、社会経済情勢がめまぐるしく変化し、日々忙しい生活を送る中で、人々は、毎日の「食」の大切さを忘れがちである。
国民の食生活においては、栄養の偏り、不規則な食事、肥満や生活習慣病の増加、過度の痩(そう)身志向などの問題に加え、新たな「食」の安全上の問題や、「食」の海外への依存の問題が生じており、「食」に関する情報が社会に氾(はん)濫する中で、人々は、食生活の改善の面からも、「食」の安全の確保の面からも、自ら「食」のあり方を学ぶことが求められている。
また、豊かな緑と水に恵まれた自然の下で先人からはぐくまれてきた、地域の多様性と豊かな味覚や文化の香りあふれる日本の「食」が失われる危機にある。
こうした「食」をめぐる環境の変化の中で、国民の「食」に関する考え方を育て、健全な食生活を実現することが求められるとともに、都市と農山漁村の共生・対流を進め、「食」に関する消費者と生産者との信頼関係を構築して、地域社会の活性化、豊かな食文化の継承及び発展、環境と調和のとれた食料の生産及び消費の推進並びに食料自給率の向上に寄与することが期待されている。
国民一人一人が「食」について改めて意識を高め、自然の恩恵や「食」に関わる人々の様々な活動への感謝の念や理解を深めつつ、「食」に関して信頼できる情報に基づく適切な判断を行う能力を身に付けることによって、心身の健康を増進する健全な食生活を実践するために、今こそ、家庭、学校、保育所、地域等を中心に、国民運動として、食育の推進に取り組んでいくことが、我々に課せられている課題である。
さらに、食育の推進に関する我が国の取組が、海外との交流等を通じて食育に関して国際的に貢献することにつながることも期待される。
ここに、食育について、基本理念を明らかにしてその方向性を示し、国、地方公共団体及び国民の食育の推進に関する取組を総合的かつ計画的に推進するため、この法律を制定する。
子ども食堂
子ども食堂ネットワークというものがあるようです。全然知りませんでした。
美味しい愛情のこもった食事を300円ほどで提供して頂いているみたいです。
素晴らしい活動だと想います。関係者の努力に敬意を表します。
コンセプトは
「今晩のご飯はボク1人なんだ」
「お母さんがお仕事の日はお弁当を買って食べるの」
そんなとき、こどもが1人でも入れるのが“こども食堂”です。
栄養満点の温かいごはんをつくって待っているのは、
近所のおじちゃん、おばちゃん、お姉さん、お兄さんたち。
そんな地域のこども食堂へ行きたい人、手伝いたい人を
結びつけるのが、私たち『こども食堂ネットワーク』です。
子ども食堂に関する報道
さまざまな家庭の事情から一人で質素な食事をとりがちな子供たちに、だんらんの場と食事を提供する「こども食堂」が全国に広がっている。経済的に困窮する家庭が増える中、貧困に苦しむ子供たちを支える場にもなっている。
《こども食堂》 2012年8月に東京都大田区の青果店が始めた取り組み。気軽に立ち寄って、悩みを相談できる居場所を兼ねている場所も多い。運営は自費や寄付でまかなうところが大半。善意が子どもたちの空腹を満たしている。昨年から急増、今では全国で少なくとも120カ所あるとみられる。
私がこの活動を知ったのは、半年ほど前の事です。
今回のこの記事は、「子どもの貧困」という切り口で書かれています。 しかし、そもそもの趣旨は、3点だと感じていました。
- 子どもの居場所を作ること
- 子どもの話し相手になること
- インスタントではなく、ぬくもりの有る食事を子どもたちに食べさせること
きちんとした、拡がりを見せている善意の輪に、色眼鏡をつけた報道をするのはどんなものでしょうか? レッテルを貼られると、子どもとして利用しずらくなるケースも出てくるかも知れません。
この活動を多くの方に知って頂きたいです。
だからこそ、利用する子どもの立場を考慮した報道をして頂きたいと思います。
中学校の給食
自分が子どものの時に、両親とも商人だったため、帰りも遅く、兄弟の食事を作り親の帰りを待っていた記憶があります。
中学生の時代に給食がなく、ほとんどを菓子パンで済ませていました。
当時は、相当寂しかったことは事実です。
せめて中学校までは学校給食を提供してほしいものです。
愛情の込められたお弁当も確かに素晴らしいですが、現代の親は忙しく、また、一人親の世帯も増えています。
中学の学校給食は、一部の子どもたちの心のケアにもつながると思いますが いかがでしょうか?
今、精神を病んでいると自覚している大人が増えています。
その対策にも社会的コストがかかっています。
決して無駄なことではないはずです。
学校は、災害の時には、重要な拠点となる施設です。
給食設備は、全ての学校に設置されるべきです。
地域の雇用創出にもつながるはずです。
ただし、交通誘導員のように、手厚い公務員扱いをするといずれ破綻してしまいます。
我々はその点を監視する必要があります。
食育は誰が担当するべき?
食育は、学校だけに任せることは不可能です。
家庭、地域、学校が一体となって、事業を進めて頂きたいと思います。
保育園の待機児童の問題にも共通していますが、行政だけに任せると、システムが肥大化して、結局コストがかかりすぎてしまいます。
また地域のボランティア団体だけに頼ると、折角の善意に人たちも疲弊してしまいます。
学校の先生方も、社会の多様性・親御さんの価値観の相違などで苦悩されています。
人々の善意だけに頼らず、行政の仕組みに組み込ませず。学校の負担をできるだけ軽減させる夢のような解決策を見つける。絵空事でしょうか?
無理と決めつけたら、そこで止まってしまいます。
子ども食堂というシステムができました。
広がりを見せているようです。
地域で学童が終わる時間以降の子どもの預かりをしてくれるシステムも存在しています。
地域ごとの叡智を集めれば、アイデアは出てくるはずです。
子どもたちの明るい未来のために必ず良い方向に進んでいけるようこの問題に関心を寄せて下さい。